全て失う ① in 🇨🇱 Feb. 28, 2019

全て失う ① in 🇨🇱 Feb. 28, 2019

1年間という長い旅を出発させ、1ヶ月が経とうとしていた頃、その時がやってきました。

生きる為、旅を続ける為に必要な物クレジットカード,パスポート携帯パソコンカメラetc…全て入っていたバックを強盗グループに持って行かれました。手元に残っていたのは、着替えと1年分のコンタクトレンズ、ポッケの中にあったスマホだけ。

今回は強盗、スリ被害の経験が豊富な僕が、1回目,2回目の被害から復活した時の物語をシェアして行きたいと思います。

どんな悲惨な出来事も辛いのは一瞬だけ。そっからは笑い話に早変わりです。

鼻で笑って頂けたら、僕も盗まれた甲斐があります。

 

日が暮れた頃、居候させて貰っていたチリ人に別れを告げ、引き続きチリを南下するためにバスターミナルへ。

この日は昼間に旅人で写真家のシャンディさんとチリでお会いする事が出来、色んな話を聞かせてもらい、物凄い浮かれていました。

旅のやる気もみなぎり、次の目的地の事を考え、ウキウキしながら人混みの中バスを待っていました。すると、いきなり後頭部に液体がかかりました。

(水だろう)と別に気に留める事なく立っていたら、女性が近寄って来て、

『鳥の糞が付いてるわよ』と話しかけて来ました。

(本当かなぁ)と思いつつ、頭についた液体を手で少し拭き取り、気になって何故か舐めてみました。(※普段は鳥の糞なんて舐めません。)

明らかにそれはケチャップ味でした。

ただこの女性がずっと『鳥の糞が付いている』と言っているので、(チリの鳥の糞ってケチャップの味なんだぁ)と1人新たな知識を獲得した事に満足していました。

すると彼女はトイレで着替えるようしつこく提案して来ました。

圧倒的怪しさから最初は断っていたものの、『そんな俺臭い?』と不安になってきて、仕方なくトイレに行くことにしました。

トイレは有料だったので、ターミナルの端っこで着替える事にしました。

バックを置き服を着替え、そのまま女性にお礼を言いに行きました。彼女が立っていたのは僕がバックを置いた場所から2mくらい離れた所です

記念に一緒に写真撮ろうと提案したら、物凄く拒絶されたのを鮮明に覚えてます。

あの瞬間は少しショックでしたが、数秒後、後ろを振り向いたらもっとショックな事が起こっていました。

僕のバックがバックごとすり替わっていたのです。

同じ黒色のバック。ただこの偽物のバックの中身は空のポリタンクでした。

急いであのババァを追いかけようとしましたが、ここは南米。生きている。追い掛けるよりこれからどう対処するべきかを考え直しました。

と、言ったものの、あの時は全く周りが見えてませんでした。

まさかその10分後にこのポリタンク入りバックまで盗まれるとは。

僕は10分間で2回強盗に遭いました。逆になんかスッキリした気分です。

近くで僕の困っていた様子を見ていた知らない叔父さんが、見たことも無いような大きさの物凄い湿った謎の煎餅をくれました。

一回冷静になろうと思い煎餅を食べ、取り敢えずおじさんと一緒に記念撮影をし、これからどうするか考える事にしました。

まず、ターミナルの警備員の所へ行きました。

が、彼らは恐ろしい程仕事をしない。『諦めろ』とだけ言われました。

パソコンやカメラなんかは買い直せる。ただ、沢山の人から頂いたお守りや旅ノート、託された物を全て失ってしまった事に対して物凄い後悔と自分に対して怒りが込み上げてきました。

バスはキャンセルし、(今日はベンチで一泊するかぁ)と思いつつ、3時間くらいボロボロのターミナルで寝床(ベンチ)を探していました。

すると、見ず知らずのチリ人から連絡が来ました。

『夜勤の為会社に出勤しようとしてたら、道路に君のパスポートとクレジットカードが落ちてたよ』と。

後で聞いてみると、彼は日本が大好きなチリ人だったらしく、パスポートからFacebookで僕の名前を調べてくれ、わざわざ連絡をくれました。

彼は空港のタクシー会社で働いており、僕は急いで空港行きのチケットを購入しました。

片道分のチケットをギリギリ買うお金が奇跡的にポケットに入ってました。

空港について拾ってくれた男性と会い、全力で感謝をし、一緒に写真を撮りました。

僕はこの時点でパスポートとクレジットカードだけは取り戻すことが出来ました。

これだけあれば、僕はそのまま旅を続ける事が出来ます。

空港だった為、そのまま盗難届を作成して貰い、次の目的地を決めるまでは空港で寝泊まりしようと考えました。

すると、僕の現状を知った(日本にいる)日本人の友人が、(アメリカにいる)アメリカ人の友人に連絡してくれ、そのアメリカ人の友人が、(チリにいる)チリ人の友人に連絡してくれました。

そして僕はこのチリ人の家族の家に迎え入れて頂く事になりました。

彼らは見ず知らずの外国人の僕を本当に暖かく家に迎え入れてくれました。

正直失った物が多過ぎて、かなり落ち込んでいました。が、彼らの沢山の無償の愛により、僕は旅を再出発する事が出来ました。

彼らは僕を、“お客さん”としてでは無く、”家族の一員”として接してくれました。

これが何よりも嬉しかった。

僕は国境を超え、本当に沢山の人に助けられました。

最後に

僕はこの一件で心から学んだ事があります。

それは“一括りにして物事を判断してはいけない”という事です。

確かにチリ人の強盗グループに襲われました。ただ、助けてくれた沢山の人もチリ人です。彼らは僕を助けてくれた後、『チリ人が申し訳ない』と何度も僕に謝罪をしてきました。助けて頂いているのに、毎回謝罪をされとても遣る瀬無い感情になりました。

日本で暮らしていた頃、ニュースなどで見る世界だけが、僕にとってその国、人々の印象の全てでした。メディアで取り上げられている世界は、その国の現状の切り取られほんの一部に過ぎません。ましてや、人を引き付けるために、あえて悪い部分だけを切り取り、過剰に発信しているケースも少なくありません。

僕らがすべき事は、これらの情報を主観的に捉えるのでは無く、客観的に捉え、一部の偏った情報だけで先入観を持ち、その国人々を一括りに決めつけない事だと思います。

これは今回のコロナウイルスの件で改めて感じました。

ウイルスの発生源が中国の都市だからといって、SNS上やメディアで”中国人”を非難する内容を度々見かける事があります。

コロナウイルスに対して、何処に焦点を当てるべきなのか、一人一人が再確認する必要があると僕は思います。

僕は世界の全ての人間が旅をしたら、この世界から戦争や醜い差別、偏見が無くなると本気で思っています。差別は相手を理解していない“知らない”から生まれるものだと、この一年を通して肌で感じて来ました。

長くなりそうなので、この話はまたいつか書いてみようと思います。

ps. チリを抜け数ヶ月が経った頃、盗まれたiPhoneの位置情報が、僕に送られて来ました。僕の旧iPhoneは、どうやらチリのスラム街で元気に暮らしている事が分かりました。悔しいですが、生存を確認したその日以降、あの携帯を思い出す事はやめました。